無外眞伝無外流とは

無外流の歴史

CIMG1770.JPG 流 祖 辻 月 丹 資 茂 流祖 辻月丹資茂は、近江源氏の佐々木高綱の末流で辻弥太夫の二男として慶安二年近江国甲賀郡宮村馬杉において誕生した。
 幼名は兵内といい剣術に志ざし、寛文元年に京都へ出て山口流の山口卜真斎に13歳で入門して足掛け14年、26歳にして師匠から免許を許された。
 その後江戸に行って麹町に道場を構え、精神修養のため麻布の吸江寺(現在は渋谷区)の石潭禅師の許に通ったが、延宝8年の32歳のときに禅師は遷化された。引き続いて第2世の神州和尚について参禅し、45歳の時に開悟した。
 神州和尚は石潭禅師の名によって次の偈を与えた。
  一法実無外
  乾坤得一貞
  吹毛方納密
  動着則光清
 以来、月丹資茂と名乗り流名を無外流とした。
 弟子には、小笠原長重、酒井忠挙、山内豊昌等の大名を始め、1万石以上は32名、直参の士150名、陪臣の士932名と記録されている。
 享保12年6月23日に79歳で歿した。芝高輪の如来寺(現在は品川区)に葬られた。
 無外子一法居士

 主に土佐藩(山内家)、姫路藩(酒井家)に伝承された。

 無外流居合は正確にいえば自鏡流居合です。姫路藩においても正式の場合は「自鏡流居合」と称していましたが、無外流剣術の指南役が指導するため、一般には無外流居合と称していました。辻月丹は自鏡流居合を学び、代々自鏡流宗家の指導を受け、姫路藩の高橋八助充亮と高橋達蔵充玄は自鏡流居合5代の山村司昌茂に学んで免許を受けました。高橋八助成行も自鏡流6代山川弥平能豪に学び高橋家に受け継がれました。

系譜

 流祖  辻月丹資茂(江戸)
 二代  辻右平太(江戸)
 三代  都治記摩多資英(江戸)
 四代  都治文左衛門資賢(江戸)
 五代  都治記摩多資幸(江戸)
 六代  高橋八助充亮(姫路藩)
 七代  高橋達蔵充玄(姫路藩)
 八代  高橋八助成行(姫路藩)
 九代  高橋哲夫武成(姫路藩)
 十代  高橋赳太郎高運(大日本武徳会)
 十一代 中川申一士龍(日本居合道連盟)
 十二代 中谷義太郎泉牛(日本居合道連盟)

特徴

 簡潔な運剣と体捌きを主とした業と所作が特徴です。

代表者紹介

中谷義太郎(号:泉牛)IMG_3812.jpg第12代 中谷 義太郎 宗家
昭和40年に岸和田の心技館に入門し、中谷臣志、白井亮太郎、佐々木高月等に指導を受ける。昭和42年からは、中川宗家の自宅を訪問し、無外流居合と柳剛流杖術を学ぶ。平成11年皆伝、平成15年第12代正伝宗家継紹。
 書家。書道研究無香会を主催し、汕頭書法研究院・日中書画篆刻協会顧問。個展は日本国内のみならず、中国(汕頭、上海、西安)にても開催。

第12代宗家継紹の経緯
 第11代中川申一宗家は、晩年に高弟である中谷臣志(岸和田)、白井亮太郎(岸和田)、戸田誠寿(尼崎)、岡本義春(八王子)、長澤正夫(寝屋川)、小西御佐一(姫路)の6名に皆伝を允可しましたが、後継者については明言しませんでしたので、宗家不在の期間が長く続きました。
 中谷義太郎は、平成11年に戸田誠寿から皆伝の允可を受け、無外会会長として流の発展に取り組んでいましたが、以前から日本居合道連盟内や無外会の会員からは、宗家を望む声があったとともに、中川申一宗家の嫡男である中川宗平氏は、無外流の次期宗家を無外会で適任者がいれば継承してもらいたいとの意思がありました。
このような宗家継承への高まりを受け、平成14年11月17日の無外会役員会にて中谷義太郎を宗家に推戴することに決定し、平成15年6月7日高野山高室院において立会人中川申一宗家嫡男中川宗平氏より正伝允可の授与並びに継紹品一式を受け、正式に第12代正伝宗家の継紹となりました。
 昭和54年から平成15年までの25年間は宗家不在で無外会会長による宗家代行であって、皆伝の系譜とは異なりますが第11代中川申一宗家の次に正式に宗家を継承した中谷義太郎が第12代正伝宗家を名乗ることになりました。

現在の活動

 各支部道場での稽古の他、特別稽古会、合宿、宗家による直接稽古など
 国内道場は、大阪府、奈良県、兵庫県、熊本県、福岡県、東京都、沖縄県
 海外道場は、シカゴ(アメリカ・イリノイ州)、バルチモア(アメリカ・メリーランド州)